みなさん、こんにちは! みっかーです。
あの記事を書いてから1ヶ月。
まだロシアのウクライナ侵攻は続いています。
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私が生まれてからも、戦争はどこかで起きていたのだろうけど、
こうして大きく報道されて、自分の記憶に刻まれた戦争は初めてです。
同じ感覚の方、いらっしゃるのではないでしょうか。
私は社会で習ったはずの、第二次世界大戦とか、よく分からずここまできました。
しかし、今になって、なぜ世界大戦という名がつくのか理解できました。
経済制裁することで、
色んな国に変化が起こる。
結局、自分の国に不利が生じれば、戦争する。
自分の国を守るために。
自己防衛と言ったら仕方ないとなるのかもしれないけれど、
でも、やっぱり、、、
人が死ぬのは絶対に違うと思う。
突然ですが、
今日は、私の祖父の話をしたいと思います。
昔から、祖父はお酒を飲むと、
流暢に過去の自分の話をします。
そして、何度も同じ話をします。
今から話すのは、祖父が子どもの頃の話です。
6歳の時、小学生になる前でした。
祖父は、兵庫県の神戸に住んでいました。
祖父の話から言うと、第二次世界大戦の最後の方だと思います。
アメリカが、空から白い紙(ビラ)をばら撒いていたと言います。
祖父は子どもで何も分からず拾って、親父に、
「そんなもん拾うんじゃない!!!」
と怒られたようです。
広島に原爆が落とされ、
神戸に住んでいた祖父の一家は、鹿児島へ帰ることに。
神戸を出る前、荷物を先に送るのに、
親父から、「どの三輪車を持ってくんだ。選べ。」と言われて、
祖父は、「これとこれ。」と、選んだ記憶があると言っていました。
三輪車は当時珍しかったようで、わりと裕福な生活をしていたようです。
しかし、全ての物は持って行けず、
裕福な生活はからはどんどん遠ざかっていきました。
いざ、鹿児島へ向かうとなり列車に乗ると、
他にも多くの人々が列車に乗っていて、田舎に帰っていったと言います。
列車に乗っている途中、弟が熱を出してしまい、
氷を持っている人を探して、買わせてもらい、大変だったと話していました。
その後、ようやく鹿児島には辿り着きましたが、
住む家がありません。
家が建つ前までは、馬小屋に丸太を敷いて、
そこで寝ていたと言います。
食事も大変です。
当時は配給。
当番制で、自分らが飼っていた馬を捌いて、
みんなに分けていたようです。
戦争が終わってからも、
自給自足。
自分の家で、牛や馬や、豚、鶏など、育てて自分で絞めて、
暮らしていたそうです。
他にも山や川でうさぎや魚を取ったり、
色んなことを自分でやってきたのが私の祖父です。
物がなく、食べる物がなく、
生きていくのに必死だった時代を生き抜いてきた祖父が言うことです。
「戦争なんてするもんじゃねぇ。」
戦争を当時目の当たりにしてきた人間のいうことです。
「戦争なんてするもんじゃない。」
この言葉に全てが詰まっている。
同じ過ちを繰り返してはいけない。
私は、そう思います。
人が戦争で死ぬのは違う。いまだに人が亡くなったニュースを見ると涙が出ます。
うまく、まとまっていないけれど、
私の祖父の話を読んで、なにか感じ取ってもらえたらと思います。
みんなが幸せに暮らせる日々が来るよう、
自分ができることをしていきたいと思います。
私は、人々が対等な関係を築いた、戦争の無い、平和な世界を願っています。
NO WAR
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